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2019年4月27日 ブログを移行いたしました。

http://kenshirokano.x0.com/kenshiro-kano/

過去の投稿や頂いたコメントも含めて全て移行しております。

今後の記事は新ブログのみに書いて参りますので、ブックマークをされている方は変更をお願いいたします。

以下本文です。

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8月になりました。

私が逮捕されたのは2016年3月、刑事裁判で有罪判決が確定したのは8月18日でした。

判決の14日後に刑が確定するため、実際に執行猶予が開始されるのは9月初頭なのですが、もうすぐ有罪判決から2年が経過しようとしています。

この2年間で味わってきた経験を振り返れば、決して早かったとは思えません。

むしろサラリーマン時代の5年分以上に思えるほど、この2年間は長かったような気がします。


それはどうしてなのか?


留置場で家族に差し入れしてもらったある本に、こんなことが書いてありました。


新しい経験の少ない人生ほど先が長く感じるのに、振り返るとあっという間に感じる。

逆に新しい経験を多くしている人生は、先を見ると時間が足りないように思え、振り返るととてつもなく長い時間を過ごしてきたように感じる。



この言葉の意味を、いま身をもって感じています。

これは本来良い意味で書かれていることなのでしょうが、私にとっては悪い意味で新しい経験を多くしているため、悪い意味でこの状態が再現されていることになります。


サラリーマン時代の生活は、確かに仕事を覚えて一人前になるまでは新しい経験も多かったのですが、一人の運転士として勤務の歯車に組み込まれてからは単調な日々でした。

最後の方は1勤務をこなすだけでも途方もなく長い道程に思えましたが、振り返ればあっという間に5年という時間が過ぎて退職を迎えたような気がします。

その5年間で経験したことを語れと言われても正直よく思い出せないし、何か成し遂げたことはあるかと聞かれても、とりあえず無事故で終えられたくらいしか答えようがありません。それ以上頑張って思い出しても他力本願な愚痴のような言い方になってしまう経験の方が圧倒的に多かったように感じます。

かたや、この2年間で経験したことを語れと言われたら、1冊の本が出来てしまうくらい多くの経験を語ることが出来るような気がします。これから先のことを考えても、自分の生き方を模索してそれを実行していくことを考えると、預金の食い潰しで生活出来る時間に十分な猶予があるとは思えません。



逮捕から裁判を終えるまでの経験はあまりにも強烈で、そこは自分の人生においても相当長い時間を経てきたように思います。

では有罪判決が確定して、執行猶予として社会に戻されてからの2年間。働いてもいないのにどんな経験をしたというのか。



まず、家族と同じ家で暮らす事自体が、日常に戻ったはずなのに全く日常感が無かったことです。

まるで他人の家に住んでいるような息苦しさ。どう接したらいいかも分からず家族を家族と思えなくなるような変な感覚。

そんな中での生活自体、今まで味わったことのない経験の一つだったと思います。


次に家の外に出た時の感覚。

どこかで誰かに見られているような恐怖感。スーパーや駅など人の多い場所へ出掛けた時、誰かに後ろ指を差されているのではないかという強迫観念。

近所の人に悪い噂をされているのではないか?住んでいる家にイタズラされるのではないか?・・・などといった無意識に湧き上がってくる不安。

20年以上生活してきた住み慣れた街にいるのに、私はまるでライオンが生息する草原で群れを離れてしまったシカのような、四六時中神経を張り詰めているような状態になっていました。

日常生活自体への感じ方が全く違う。それも新しい経験。


そして対人関係。

逮捕されてから警察官、刑事、検事、裁判官など、様々な立場の人間とばかり関わってきました。

私を犯罪者として検挙し、有罪とすることが目的の彼らには、私の言い分はほとんど聞き入れられなかったし、強い不安や恐怖感を与えられながら連日続いた取り調べ。更には弁護士に見せてもらった供述調書から友人の裏切りを知ってしまったせいか、裁判を終えた後の私は重度の人間不信状態に陥っていました。

そのため私は自分でも驚くほど人が信用できなくなり、社会へ戻った私に声を掛けてきた知人の言葉を、素直に受けとることが出来なくなりました。

掛けられた言葉に必ず何か裏があるように感じてしまい、声を掛けられたり連絡を取られる事自体が苦痛になっていました。

「気にしていない」と言われれば、気にしないでいてやるから誠意を示せと言われてるように感じたし、

「飯でも食いに行こう」と誘われれば、犯罪者のお前の相手をしてやるんだから金を出せと言われているように感じたし、

「付き合いを変えるつもりはない」と言われても、それは私がクルマやバイク弄りが出来て、付き合いを続ければ安く使えて何かと便利な人間だからそうしようと思われているように感じました。


こちらに負い目があるゆえ、自分自身で私の立場を相手より大きく下に位置づけてしまったことも重なり、この弱みに徹底的に付け込まれるのではないかという恐怖感が襲ってきて、私の過去を知っている人と話すこと自体がとてつもなく怖くなっていました。

そんな感覚だって過去に一度も味わったことがないので、悪い意味での新しい経験として自分の人生に刻まれていったのです。


そして一人で何の縁もない場所、しかも人の少ない田舎への移住を考え、それを実行すること。

それに伴い、長年暮らしてきた実家での身辺整理。大事にしていた物を手放していく時のやりきれない気持ち。

二度と生活の拠点として戻らない家で、荷造りをしている時の心境。

片道切符を持って、家族のいる家を出た時の感覚。

これから住む町が近づいてきた時の、期待と不安が入り混じったような感覚。

前回の記事で書いた、田舎暮らしを始めてから経験した人間関係。


そういった一つ一つの小さな出来事が、全て新しい経験になっていたのだと思います。

それは出来事自体が経験になっているというよりも、その出来事がきっかけで感情の変化が起こった時、それが経験として自分の中に刻まれていくような感覚でした。


移住してからの暮らしは当初、何もする気が起きずにダラダラと、淡々と過ごしていました。

2年が経った今もどこかに勤めたりといった仕事はしていませんが、さり気ないきっかけで出会った地域の人と仲良くなっては、色々頼まれごとをされることが多くなりました。

地方の高齢化は私の住む町でも漏れなく進んでおり、若い人手が求められることは間違いありません。

なので無職ですと言えば心配されて私の過去を知らない人に対して仕事を紹介されたり、必要以上に面倒を見て頂いたりしてしまう可能性が高いため、仕事については家でパソコンを使った内職の仕事をしていますと言うようにしています。

そのため空き時間で良ければという体裁で、畑仕事や水産の仕事、引っ越しの手伝い、ちょっとした電気工事やネット回線の設定、クルマの整備など、地域の方々からの小さな頼まれごとを無償でお手伝いするようにしています。

するとお礼にと食事をご馳走して頂いたり、食べきれないほどの野菜や魚などを頂いてしまったり、生活で足りない物を譲って頂いたりと、生活をする上でとても有り難い対価をお金以外の形で頂いてしまうのです。

そんなちょっとしたお手伝いでも今まで私が経験したことのないジャンルが多く存在し、畑仕事一つ取っても畑の手入れから収穫、出荷まで、いずれも初めて経験することでした。

無職となり、結果としてお金は無くても時間が残ってしまった私には、新しい経験という点においては多くを得る機会となったのかもしれません。


しかし、それは決して生活が楽という意味ではありません。

昨年、畑仕事に慣れた頃に、その農家さんの手伝いを本格的にやって、少し収入が発生する形で仕事をしてみようと思ったことがありました。

ところが2~3ヶ月続けたところで突然髄膜炎という病気に掛かってしまい、3週間の入院を余儀なくされました。

髄膜炎という病気は成人がかかることは少なく、原因は免疫力の低下と強烈なストレスだろうと言われました。


農作業自体に抵抗があったわけではありません。

しかし、お給料を貰う代わりに日々決まった時間に起きて仕事へ行き、人の下で働くということ自体が、私にとって想像以上にストレスに感じる行為になってしまったのかもしれません。

サラリーマン時代に睡眠不足から身体を壊して会社を辞めた経緯もあり、既に身体も20代としては弱っているのだと思います。

その身体で肉体労働に従事したことで思っていた以上に疲労が溜まるのが早く、そのうえ雇われて働く事自体にまだ心理的な抵抗がある状態で仕事をしたせいか、疲れた身体に精神面で負った傷からくる無意識のストレスが追い打ちを掛け、重い病気を誘発してしまったのだと思います。

髄膜炎の致死率は20%と高く、5人に1人は死んでいるそうです。

私の場合、風邪のような症状が長続きし、風邪薬を飲んで3日間寝込んでも良くなるどころか日に日に頭痛が悪化し、意識が飛びそうなくらい辛くなったところで耐え兼ねて救急車を呼び、病院へ運び込まれた結果発覚しました。

もしあと1日休もうと思って頭の痛みを堪えて家にこもっていたら、そのまま意識を失って死んでしまい、遺体が腐敗した頃に異臭騒ぎで近所の人に気付かれるという凄惨な最期を遂げていたかもしれません。

無事に生き延びられたのは幸いでしたが、代わりに数十万円の治療費を支払いました。

このとき、自分は死んで楽になることも許されないのか?と、ネガティブな感情に飲み込まれそうになりました。


我ながら情けないと思いつつ、収入を得るための労働に従事できない状態の自分に焦りを感じています。

貯金を食い続けているこんな生き方には終わりが見えているし、今まで現金を貰って働いてきた人間にとっては、安定収入なしでの生活は常に不安がつきまといます。

刑務所にこそ入らなかったものの、仕事をして食事を与えられる。この構図は刑務所と変わっていません。

しかも刑務所にいれば税金が投入されて何年でもその生活が続けられるわけで、一方の執行猶予の身でこの体では、生活費を自分の財産から割きながら服役しているような、そんな感覚に襲われることも少なくありません。

じゃあ財産が底を尽きたらどう生きればいいのか?・・・そう考えると今の私の暮らしが豊かで恵まれているとは微塵も感じません。素敵な町で暮らせているおかげで財産がゼロになるまでの時間は少し伸びたかもしれませんが、着実にゼロに向かっていることに変わりはないからです。

生活保護?・・・真面目に働く健全な人が収めた税金を、無職の犯罪者が生活費にするということには誰も納得しないと思います。

私だって納税者だったらそんなの許せないし、そこまでしなければ生きられないくらいなら死んだほうがマシだと考えています。



身体がきつくて文句ばかり垂れ流していたとしても、生活が維持できるだけの安定収入があること。そして自身が健康で、そんな仕事を選ぶという選択肢が存在すること自体のありがたみはひしひしと感じます。


自分に合わない仕事を抜け出して転職し、時間もお金も今まで以上に得られる人はとても幸せです。

かたや、常に仕事が嫌で辞めたいと思いつつも、お金や家族など現実的なことを考えて今の仕事を辞められない人も多いでしょう。

ですが、そんな不満だらけのサラリーマン生活を送っていたとしても、その会社に食わせてもらっているという安心感がどれほど根底にあることか。

そのありがたみは、その立場を失った者にしか理解出来ないのかも知れません。

給料が安いとか、拘束時間が長いとか、上司が嫌いとか、そんな不満は安定収入という土台の上で行うボードゲームのようなものです。

その土台が崩れた時、続けてきたゲームがリセットされるかのように全ての不満が一瞬でどうでもいいことになります。

そして、自分の関心はその崩れた土台をどうやって直していくかだけに向いていくことになるでしょう。



自分の意思で今の仕事を離れる決断がどうしても出来ない人は、今勤めている仕事のありがたみについて、一度考えてみると良いのかもしれません。


今月一杯で解雇を通告されたら?

今年度で会社が潰れることになったら?

突然あなた自身が働けない身体になったら?


そうなった時、あなたは今まで当たり前に続けてきた仕事のありがたみをどれくらい感じると思いますか?


そんなことを考えてみるともしかしたら目線が変わって、不満タラタラだった仕事にも感謝出来るようになるかもしれませんね。


仕事、お金、地位、健康。全てを失った私が、今の暮らしから感じていることを書いてみました。

こうして文章で整理してみると、今の自分の生活がいかに危機的な状況であるか実感させられます。